「大東亜戦争肯定論」林 房雄


大東亜戦争肯定論

大東亜戦争肯定論


 近代東洋史研究者である同僚のY先生から借りて読む。昭和39年初版。
 挑発的なタイトル。右翼的内容を想像が、少し違う。
 「大東亜戦争は、百年戦争の終曲であった」。江戸時代末期、外国艦船が日本近海に出没しはじめた頃から始まった戦争を、日本は戦ってきたのだというのが、本書の主張だ。


 ここでいう戦争とは、戦闘状態を指すのではない。「日露戦争日清戦争後の三国干渉によりはじまった」という意味での「戦争」である。薩長戦争と馬関戦争から始まり、明治維新西南戦争、日清・日露戦争、そして太平洋戦争にいたる一連の出来事を、ひとつづきの連関した事象としてとらえようとする試みである。歴史をどう切り取るか、切り口において、アクロバティックかつ壮大で野心的である。


 ただ、内容的には寄り道にそれることが多く、具体的な論拠に関しては、本書の段階でみるかぎり、十分に整理されているとはいいがたい。寄り道の部分には、冷戦、マルクス派学やライシャワー丸山眞男など、昭和30年代の時代の刻印が押されており、筆者が必要以上に言論界を意識して本書を書いている様子も読み取れる。


 何せ太平洋戦争についての自由な議論が、タブーであった時代である。


 学問的評価をする力はオイラにはないが、イデオロギーに取り込まれることなく、太平洋戦争の真実を、ありのままに描きたいという、筆者の意気込みは強く伝わってきた。


 
 2006年のイラク戦争下で実際に起こった米兵の強姦・殺害事件をもとに、再構成されたフェイク・ドキュメンタリー。2007年。ブライアン・デ・パルマ監督。
 戦争の切り取り方もいろいろだ。デ・パルマは、戦争の陰惨さをこれでもかと執拗に描く。反応は賛否両論で、「戦争の負の側面を鋭くえぐる」という肯定派から、「誇張しすぎである」という否定派まで幅広い。


オイラは表現についてはラジカルに考える方なので、陰惨で鬱々としていることは別に構わないが、流麗なカメラワークとけれん味たっぷりの演出が持ち味のデ・パルマが、こんな作品を作ってしまったことには違和感を持った。仕事がこなくなるんじゃないかと、ファンとして心配に思ったのである。