岡本隆司「李鴻章−東アジアの近代」岩波新書


李鴻章――東アジアの近代 (岩波新書)

李鴻章――東アジアの近代 (岩波新書)


 説明するまでもないかも知れないが、李鴻章は、19世紀後半の清朝の有力政治家である。1851年に起こった太平天国の乱では、淮軍を率いて太平天国軍と戦い、1860年代以降は中国近代化である洋務運動を推進した。1894年の日清戦争では日本に敗北し、下関条約を締結し、1900年の義和団の乱のときには、全権を任されて諸外国との交渉に当たった。


 李鴻章は、実に50年にわたって、清朝の軍事・外交の第一線にあり、外国と対峙した。本書は、そうした李鴻章と19世紀後半の中国の時代背景を豊かに描いている。さすがに歴史学者、書きぶりが、いかにも歴史を語るといった趣で、悠々と流れる大河のごとく、ことさらに刺激的な表現を裂け、客観的な広い視野で李鴻章とその時代を活写する。聞くところによると、中国近現代史の若きホープの方らしい。司馬遼太郎などの歴史小説を彷彿とさせる。朗読するには好適の名文、さすがに岩波クオリティ。


 李鴻章の頑健さと気力に驚かされた


 74歳にして棺を同行しての世界一周、76歳にして、地方官であることを揶揄されて知り合いに杖でなぐりかかる凶暴さ、78歳からの義和団事件と北京議定書の締結の責任者を務めるなど、頑健な身体、旺盛な気力には驚くほかはない。人間的な魅力にあふれた李鴻章は「師の曾国藩が表したとおり、官僚として仕事をすることが面白くて、「命がけで」官僚を務めた」が、その後半生は、日清戦争の敗北、義和団事件の屈辱的講和など、挫折の連続だった。敗北の責は李鴻章にはないとはいえ、清朝の命運が滅亡にむけて確実になっていくのは、李鴻章にとっても不本意だっただろう。


 歴史からの聡明な作者の眼差しを感じる


 「李鴻章は洋務の存在を知るだけで、国務の存在を知らない。兵事があるのを知りながら、民事があるのを知らない。外交は知っていても、内治を知らない。朝廷の存在は知るが、国民がいるのを知らない」これは、李鴻章の死後まもなく書かれた梁啓超李鴻章に関する文章である。作者の岡本はこの文章を「腑におちない」という。梁啓超が、李鴻章を「知らない」とあげつらったことにである。


 (以下引用)「李鴻章ははたして「民政」や「内治」を行なわなかったのか。また当時には、「国務」「国民」という概念はなかった。実行したものや存在しなかったものを「知らない」とうのは、ためにする虚偽であり、論理の詐術である。そこにあるのは、他者・先人に対する共感・同情にもとづく歴史的なまなざしではなく、自らの主張を性急に正当化しようとする政治的な思惑にほかならない(206ページ)」


 李鴻章をあげつらう心ない評価に対する、作者のやむにやまれぬ反論が印象的である。巷にあふれる文の多くが、他者・先人に対する共感にもとづく視点を失っている昨今、筆者の聡明な眼差しは、歴史を語ることの意義や改めて新鮮な感慨を我々に伝えてくれる。良著だと思う。