「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること」その2
本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド
- 作者: 矢部宏治,須田慎太郎
- 出版社/メーカー: 書籍情報社
- 発売日: 2011/06
- メディア: 単行本
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《内容要約です》
■1 ペリーはなぜ、最初に那覇にきたのか。
アメリカは綿密な計画を立てていた。もし日本の開国に失敗した場合の保険や予行演習として沖縄を活用しようと考えていた。アメリカの戦略的な用意周到さは、今にも通じるものがある。地政学的な沖縄の位置付けは、今も昔も変わらない。
■2 沖縄には、6人の帝王がいた。
米軍占領時代、沖縄は植民地統治のような状況におかれた。抵抗する市民に銃をつきつけ、ブルドーザーで家や畑をふみつぶして米軍基地にした。1956年の那覇市長選で当選した瀬長亀次郎氏を弾圧するため、法律を変えて再出馬をできなくした。
■3 普天間は「法律上の飛行場」ですらない。
少し前まで那覇防衛施設局は「米軍機はどこを飛んでもいい」「国内法もアメリカの基準も守らなくていい」と言っていた。日本の国内法では、米軍基地は日本の航空法の適用除外であるからだ。だから、アメリカは日本全土で低空飛行訓練を行っている。
■4 占領はまだつづいている。
普天間、嘉手納、キャンプ・フォスター、キャンプ・レスターでは、いずれも民有地が90%を占めている。なかには戦後になってから住民から強奪した土地も含まれる。これは「私有財産は強奪してはならない」としたハーグ陸戦条約に違反した行為である。
■5 鳩山首相はなぜやめたのか。
6 続・鳩山首相はなぜやめたのか。
日米間にはいわゆる「密約」が存在する。アメリカが条文化したいと希望し、日本が国内世論対策上、公表したくないと考える合意事項のことで、歴代の外務事務次官だけの引き継ぎ事項となっている。密約を知っていることが、エリート官僚の権力の源泉となって、巨大な人事ヒエラルキーができあがっている。首相や外務大臣、防衛大臣さえ密約を知らない。政権について説明を受けて初めて知るという構造になっており「これでは公約は守れない」ということになる。また外務・防衛官僚も、首相よりも、巨大な密約の体系に忠誠を誓うという構造ができあがっている。
■7 天皇に切り捨てられた島
米軍は、イラクから7年で撤退したのに、沖縄ではなぜ60年以上いるのか。そもそもは昭和天皇にある。昭和天皇は、1947年、マッカーサー司令部に対し、50年以上の米軍による沖縄占領を望んだ(天皇メッセージ)。豊下楢彦によると、共産主義革命が起これば人民裁判で死刑になる。米軍は自分を処罰しない。つまり、米軍がいる限り「米軍が天皇を守る」という国家権力構造を作り上げた。右翼は親米である理由はここにある。
■9 嘉手納と辺野古の弾薬庫に核はあるのか。
米軍占領下の沖縄には、1961年には約1000発、1967年には1200発以上の核兵器が配備されていた。沖縄には核がないというのが定説だが、核兵器が撤去されたかどうかは確認が取れていない。
■10 日本国憲法と日米安保条約
日本国憲法を最初に作ったのはGHQ(軍部)。占領終結の講和条約に調印した同じ日(6時間後)に日米安保条約が調印され、占領軍(アメリカ軍)は、ただ名前が在日米軍と変わっただけで、そのまま駐留しつづけた。つまり実質的に占領は継続されているのである。
■11 アメリカの対日政策
アメリカは論理的・戦略的に学問を利用する。二度とアメリカの脅威とならないように、憲法に天皇のことを「シンボル(象徴)」と書き込んだのもアメリカ。ルース・ベネディクト「菊と刀」も、長期にわたって日本を従属させるための「対日心理戦争」の一環。日本には天皇中心の非アジア的な文化パターンがある、そう思いこませることにより、日本がアジア諸国と共同歩調を取りにくくし、アメリカに依存する国家になると分析したのだ。
■12 CIAと戦後日本
「CIA秘録」を書いたティム・ワイナーによると、自民党は、「岸がCIAに金を出してもらって作った政党」。実際に1950〜60年代に数百万ドルが援助されたことが暴露されている。片岡鉄哉によると、自民党の本質的機能は「安保体制を守り、運営する」ことである。
■13 日本テレビとCIA
日本テレビも、CIAから金をもらって成立した。日本へのテレビの導入そのものが、共産主義に対抗するためのアメリカの情報戦の一環。メディア・コントロールは、日本の心理的な再占領と言える。
■14 戦後体制の守護神・司馬遼太郎
戦後文壇最大のアイドル司馬遼太郎も、民間側から支えた最大の最大の守護神。「国民が軍部によって占領されていた」戦前の状態から「米軍による軽度の占領」に変化したという彼の基本認識は、アメリカの「対日心理戦争」の基本コンセプトそのもの。
■15 60年安保とは、何だったのか。
アメリカは日本のためには戦わない。1960年に結ばれた新日米安保条約の実質は、九割方「米国の日本基地使用協定」でしかない。その関係は、かつての日本と満州国の間の関係(属国)によく似ている。岸信介は、満州国経営で辣腕をふるった人物である。
(つづく)