テレメンタリー2012「標的の村-国に訴えられた沖縄・高江の住民たち]製作:QAB琉球朝日放送


 高江のヘリパッド反対運動を題材にした琉球朝日放送製作のドキュメンタリーが、テレビ朝日系列の全国24局で、9/1から9/9にかけて放送された。高江の住民の側に立った内容で、報道関係者の良心を感じさせる好番組だと思う。
 ラスト近く、歌と踊りで工事強行を止めようとするくだりは、オイラは涙を禁じえなかった。


 内容採録




 1973年、CH46伊湯岳に墜落、3人死亡。 
 1975年、CH46安波ダムに墜落、3人死亡。
 1980年、CH46安波ダムに墜落、1人死亡。
 1985年、CH53辺野喜ダム上流に墜落、4人死亡。
 1988年、CH46高江沖に墜落、4人死亡。
 2000年、米兵が高江区でペイント弾発射。


 沖縄北部訓練場は、米軍のジャングル戦闘訓練場。総面積7800ha、国内最大の米軍専用施設である。アメリカ軍がゲリラ戦やサバイバル訓練をする「世界で唯一の」演習場である。フェンスもなく、兵士が民家の庭に現れることも珍しくないという。


 高江集落は、人口160人、米軍演習場に囲まれている。さらに今建設が進められている着陸帯には、事故が多発している「オスプレイ」がやってくるという。


 高江に住む安次嶺現達さん(ゲンさん)は、4年前、国に訴えられた。家の近くにヘリパッドが建設されたら困ると座り込んだら、通行妨害で被告になってしまった。



 一番近いヘリパッドは、集落からわずか400メートル。新しいヘリパッドがさらに建設されると聞き、2007年1月22日、高江区民は、米軍基地を建設・管理する国の那覇防衛施設局に抗議した。その後住民は2度の反対決議をしたが、納得できる説明もないまま、一方的に工事が通告された。2007年7月2日、住民の戦いは建設現場で座りこむしかなかった。2007年8月21日、防衛施設局は大勢で工事にやってきた。住民は、防衛施設局がこない日も、生活を犠牲にしながら、ゲート前で座り込みを続けた。


 そんななか、2008年11月25日、国は住民15人を「通行妨害」で国が訴えた。仮処分申請し、法廷に引きずりだした。国が国策に反対して座り込んだ住民を訴えるという前代未聞の裁判。力を持つ企業や自治体が声をあげた個人を訴える弾圧・恫喝目的の裁判をSLAPP裁判(Strategic Lawsuit Against Public Participation)と言い、アメリカでは多くの州で禁じている。しかし日本にその概念はない。


 反対運動を萎縮/分断させるために


 国のやり方は強引だった。ある日突然裁判所から、分厚い封筒が届いた。訴えられた中には安次嶺現達さんの娘さんの名前もあった。奥さんの雪音さんの証言では、7歳で、現場に一度も足を運んだこともない。通行妨害の証拠に娘さんの写真もなかった。


 2009年12月11日、住民15人の内13人は却下されたが、安次嶺現達さんと伊佐真次さんの二人が「通行妨害禁止命令」を受けた。住民の間に不安が広がった。反対運動を萎縮させ分断する、それこそSLAPP裁判の狙いだ。他の高江の住民に「反対運動に加わるな」という、見せしめのようなものである。


 オスプレイについて、国はひた隠しの姿勢を貫いていた。2010年2月1日に開かれた高江区住民説明会において、住民は疑問と不安をぶつけた。防衛局は、「オスプレイの沖縄への配備については、米政府から「現時点では何ら具体的予定を有していない」「オスプレイ配備が行われると私どもが確認できた場合は、皆様にご説明、少なくともお伝えする」(沖縄防衛局真部朗局長)と回答した。



 ヘリの軍事訓練は昼も夜も行われる。学校も住宅の上もおかまいなしで飛び回る。夜の訓練では、集落のわずかな光を目印に旋回することもある。高江集落を敵国住民に見立てて訓練をやっている、自分たちは標的なのかと憤慨する住民も多い。


 高江は標的にされてきた


 「ベトナム村と同じですよ」と安次嶺現達さんは言う。ベトナム村とは、かつてベトナム戦争のとき、沖縄の演習場内に作られた襲撃訓練をするための村である。そこで三角の帽子を着せられベトナムの着物に似せた黒い衣装をつけさせられ、ベトナム人の役をやらされていたのは、何と高江や周辺の人々だった。乳幼児や5、6才の幼児をつれた婦人を含む人々が徴用され、対ゲリラ戦における南ベトナム現地部落民の役目を演じさせられた。訓練とは言え、戦場のような場所に国民が徴用されていたのである。



 ベトナム村がなくなって40年。しかし、訓練に標的は不可欠。その標的は高江の集落そのものなのではないか。宮城勝己さんは言う。「前から思うんですけれど、なぜヘリパッドは高江を囲むのか。人がいるところを想定した訓練をしていると思う。CH46型ヘリの窓を全部オープンにしてぼくらの座っているところを見ながら旋回する。わざと低空飛行でババババッと。そう目標物と思うな」


 生きた標的の村同然の経験を持つ村を、さらに今度はヘリパッドで囲む。それは人間の尊厳にもかかわる問題だ。本来と問われるべきは、基地と人権。それを「通行妨害」に矮小化した、国の意図に振り回された裁判の判決は、2012年3月14日に下された。判決は、安次嶺さんに関しては国の請求が棄却されたが、伊佐さんに関しては「純然たる表現活動の範疇を超える通行妨害があったと認定、ひとりだけに妨害禁止命令が下された。住民運動を通行妨害でからめとる手法が成立してしまった。しかもふたりが分断された。


 座り込みは5年目に入った。この判決が確定すれば、沖縄の民衆が最後の抵抗手段にしてきた座り込みさえできなくなってしまう。住民側は控訴、9月11日に審理が開始される。


 オスプレイが来る


 2012年6月13日、オスプレイ配備に伴う「米軍環境調査書」が公表された。誰も教えてくれなかったオスプレイの運用が見えてきた。高江のヘリパッドは、やはりオスプレイを想定していた。現さんの家から400メートルにあるヘリパッドには、年間1260回も飛来する。しかも低空飛行訓練をするという。オスプレイの排気は高温で山火事を起こす。すべて住民には何の説明もないままだ。「防衛局がここに来たときも、オスプレイが来るじゃないですかと言ったら「いやあれは普天間だけ」と言い切った局員もいたんですよ。国のやり方はひた隠しで、だましてまでやろうというやり方ですね(伊佐さん)」「低空15mで山原を飛ばれたら「はげ山」になりますよ(安次嶺さん)



 2012年7月10日夕方、テントが留守になった隙に、防衛局員らが作業車でゲートをふさいだ。国は強引に工事の強行を示す姿勢をあらわにした。「説明がないでしょう」「あんたには説明をしない」「どんな工事をするのか聞いてるだけですよ」「防衛局に行って話せ」この夜緊急招集がかかり、住民たちは24時間態勢で工事を止める覚悟をした。「今回の業者は、かなり強硬だし攻撃的です。いままでの業者とは違う(安次嶺さん)」「挑発してくると思うんですよ。ただそれに乗らないように。あいつらを疲れさせるように(伊佐さん)」


 2012年7月23日、山口県岩国基地へ、オスプレイ12機が陸揚げされた。沖縄への配備は10月。


 建設は強行されている


 2012年7月19日、工事車両が高江に向かっていると連絡が入った。説明もないまま防衛局が工事にやってきた。高江の人々は色をなして抗議をする。「オスプレイが来るんだろ。説明会やるって局長が言ってるだろ。連れてこい。局長連れてこい」「オスプレイが来たら、私たちはここに住めないんですよ。そりゃ反対するのが当たり前ですよ」「裁判やるんだったらやってくれ。沖縄県民と一緒にみんなでやりますから」「ぼくたちは何も知らされてないに等しいです。オスプレイも来ないとあなたたちは去年言ってましたよね。だけど結局来ることになりました。これはどういうことですか」「あなたがたは説明すると言ったんだ。説明をする責任があるんです」「説明して。説明会するって言ったんでしょう。説明して」



 反対する人々の頭上を越えてクレーンで資材を運び始めた。「人がいるぞ! 落ちたらどうするんだ!」と怒号の飛び交うなか「喧嘩しないよ。みんな歌歌って」と反対住民が歌と踊りを始める。歌で作業のペースを乱す作戦である。ダンプが到着すると座り込んで止める住民たち。警察が出動した「こちらは名護警察署です。威力業務妨害に抵触する恐れがあります」とスピーカー。住民は作業に対し「本当に県民をナメくさるんか。人の命をナメくさるんかアホンダラ! やめろ! 馬鹿な作業はやめろ!」


 結局、ダンプ1台分の資材が搬入されてしまった。フェンスを越えて止めることはできない。そこに入れば罰せられるのである。オスプレイは困ると声をあげれば裁判にかけられる。10月に沖縄に来るオスプレイ。この国の法律と仕組みは、誰のためにあるのだろうか。

 
 最後に安次嶺さんは、当たり前の行動をしていくだけと決意していると言う。ヘリパッドが半分完成してしまっている夢を見ることもあるという。「まあ大丈夫でしょう。これだけオスプレイのことが盛り上がれば、あっちこっちから支援者も集まってくるだろうし。毎日100人くらいいれば、何とか大丈夫じゃないかね。100人と言わず200人でも300人でも来てほしいけど」と淡々と語った。