教師は旗にお辞儀する


 3月は卒業式シーズン。オイラの勤務校の卒業式は、厳粛さと清新さを基にした、オールドスタイルの「よくある」タイプの卒業式。予行の日に、何度も「起立」「礼」「着席」など、儀礼的振る舞い方を繰り返している高校生や教職員の姿を観ながら、あることに気がついた。


 旗に対し、お辞儀をしている。


 オイラの勤務校は県立の高等学校である。演壇の上方には、日の丸と県旗が吊るされている。人がいない状態の壇へ上る際、全員がそうだとは言わないが、最初の一礼は、旗に向けてなされている。目線が旗の方を向いているから、遠くから見てもはっきりとわかる。


 旗に対してお辞儀をしているのは、上手下手から登壇する「大人」だ。「高校生」は、オイラの勤務校の場合、正面から登壇するので、一礼すると、旗を「見上げる」格好になり、間抜けな感じになる。だから、旗に一礼する者はいない。


 「学校珍百景−「学校あるある」を問い直す」などの編著者で、小学校教諭の塩崎義明氏によると、「歩き方からお辞儀の仕方、正面に対しての「礼」。証書のもらい方から座り方まで」卒業式の儀式的なふるまいは「神事の作法」に基づいていると指摘する。




 なるほど「神事の作法」であり「正面に対しての礼」なのか。ならば登壇時の礼は「旗」に対する礼ではなく、「壇上」そのものに敬意を表するという意味の礼でなければならぬ。


 何を細かいことを言っているのだという人もいるだろう。だが、壇上のシンボルや自らのふるまい方が、高校生にどんなメッセージを送っているのかを考えず、法規によって決められている、皆がしている、常識だからといって、ただ従っているという態度は、公務員としてはそれでいいのかも知れないが、知性をもって高校生を導く者としては、怠惰な姿勢だとオイラは考える。


 そもそも何で「神事の作法」に基づいて卒業式が執り行われるのか、それが妥当なのか、そしてなぜ壇上には日の丸が必要なのか。そして自分はどう振る舞うべきか。タブーを廃して根源的に考える。それが学問探究に向かう基本姿勢であることは、間違いのない真実である。皆さん、そうではありませんか?